インフレ禍 2010 7 18

 今、世界には、実体なきインフレ禍が漂っていると思います。
しかし、インフレではなく、デフレこそ心配すべきでしょう。
 みんな「デフレ行きのバス」に乗っていると、
誰も気づいていないかもしれない。
実は、バブル崩壊後の日本も、そうでした。
 ニューズウィーク日本版(2010年6月9日号)には、こう書いてあります。
「そろそろインフレの心配は、やめたらどうだろう。
(中略)
欧州中央銀行は、2008〜2009年のFRBと同じく金融を緩和している。
だが、財政政策はアメリカとまったく逆で、各国政府は緊縮財政を進めている。
ドイツ、スペイン、ギリシャ、ポルトガルは、
政府支出を削減したり増税を行ったりしているが、
これは消費者や企業の動きを鈍らせ、
成長を鈍化させたり物価の下落を招く可能性がある。
今も1920年代のハイパーインフレの悪夢に怯えるヨーロッパは、
むしろデフレに突っ込もうとしているのかもしれない」
 日本も、1997年に似たようなことをやってしまい、
「デフレ」と「失われた10年」を確定させることになりました。
どうして、ヨーロッパは、日本と同じ失敗をしようとするのか。

1937年恐慌 2009 7 4
 NIKKEI NETのマネー&マーケットで、
岡田晃氏は、「1937年恐慌」のことを書いています。
 恐慌というと、1929年を連想しますが、
実は、「1937年恐慌」も、大いに問題があったのです。
(以下、引用)
 1933年に登場したフランクリン・ルーズベルト大統領が、
ニューディール政策で米国経済を立て直したことは広く知られている。
33年までの4年間、大幅なマイナス成長が続いていた実質国内総生産(GDP)は、
翌34年からプラスに転じ、37年まで景気回復が続いた。
 33年に50ドル前後まで落ち込んでいたダウ工業株30種平均は、
37年に190ドル台まで回復していた。
 そこでルーズベルト政権は、
ニューディール政策によって膨らんだ財政赤字を削減すべく、
増税に踏み切り、財政再建路線に転換した。
FRBも金融引き締めに転じた。
 だが、これは明らかに誤りだった。
景気は再び急速に悪化し株価は暴落した。
実質GDPは翌38年にマイナス成長へ逆戻りし、
ダウ平均は37年の戻り高値のおよそ半分の水準まで下がった。
これは、37年恐慌と呼ばれている。
それ以降、米国経済の本格回復は第2次世界大戦後まで待たねばならなかった。
(以上、引用)
 歴史に「if」はありません。
しかし、「アメリカに、1937年恐慌がなかったら」と考えざるを得ません。
 賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ。
歴史は、人類のためにある。






















































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